会社沿革
共栄バルブは平成25年11月、創立70周年を迎えます。
長きに亘る共栄バルブの歴史をご紹介いたします。「戦時体制下での創業」 | 昭和18年[1943]~ |
「戦後の混乱期の中での再建」 | 昭和20年[1945]~ |
「高度成長期の技術革新」 | 昭和30年[1955]~ |
「独自技術の開発と新分野開拓」 | 昭和40年[1965]~ |
「構造不況期における飛翔」 | 昭和50年[1975]~ |
「21世紀に向けての体制づくり」 | 昭和60年[1985]~ |
「新世紀・新たなる躍進」 | 平成7年[1995]~ |
「オンリーワンへの道」 | 平成17年[2005]~ |
「次世代に向けて…」 | 平成27年[2015]~ |
「戦時体制下での創業」 | |
昭和 6年 [1936] |
初代社長清水一之助個人企業として、大阪市西区九条に清水製作所を創業しました。主に高圧バルブの製作を開始いたしました。 |
昭和18年 [1943] |
戦時下の日本国内の体制を強化するため「企業整備令」が発令されました。これにより浅野合金製作所ほか数社と合併、資本金43万円を以て『共栄バルブ工業株式会社』が創立されました。発起人代表の浅野兵次郎氏が初代社長に就任しまた。[Photo] |
昭和19年 [1944] |
浅野初代社長が退任され、清水一之助が二代目社長に就任しました。 |
「戦後の混乱期の中での再建」 | |
昭和20年 [1945] |
戦後の混乱期の中で、水道・船用のバルブコックの製造工場として再出発を図りました。しかし、日本国内に残ったバルブメーカーは物資不足と僅かばかりの民間需要では各社厳しい経営状況でした。
そのような中、交易営団(特別調達庁)を通じ日本弁製造統制組合に対して進駐軍用宿舎建設に使用するバルブ類の発注があり、当社もその生産にかかわりました。そのバルブの製造・納入に際して現在の商標である「KKK」マークを制定しました。 [Photo] |
昭和22年 [1946] |
戦後混迷状態から抜け出すために、業種の重点化を図ることにし、化学繊維・化学工業・電機・造船・機械工業用のバルブ・コックを主力とすることを目標としました。 |
昭和26年 [1951] |
前年(昭和25年)に日本工業規格(JIS)が制定されました。大阪府通産局の審査を経て「陸用青銅弁(JIS-B規格」の日本工業規格(JIS)表示許可工場(青銅弁)として許可がされました。[Photo] ※現在は生産していません。 |
昭和28年 [1953] |
当時の造船ブームの中、海運局(当時)より、「船用青銅弁、船用鋳鉄弁」の日本工業規格(JIS)表示許可工場(JIS-F)として認可されました。 [Photo 1] [Photo 2] |
昭和28年 [1953] |
大阪営業所を西区南堀江の西谷ビルに移転しました。 平成20年の本社ビル完成による営業部の統合まで、永らく営業拠点として存在しました。 [Photo 1] [Photo 2] |
「高度成長期の技術革新」 | |
昭和33年 [1958] |
化学繊維業界の発展に伴い、同工場向けのバルブを多数納入しました。 また電力関係会社向けの変圧器用青銅製ベロー弁の 開発・販売を行いました。 [Photo] |
昭和37年 [1962] |
米国における液化ガスの技術が急速に進み、液化窒素・液化酸素の実用化がされました。 国産低温弁の開発を先駆けて開始いたしました。コールドエバポレーター(CE)、タンクローリー車用バルブ、青銅製の低温弁 SW(差込溶接)形、F(フランジ)形長・短軸玉形弁が完成いたしました。現在の「低温弁」の基礎が出来上がりました。[Photo] |
昭和38 [1963] |
創業以来青銅製バルブを中心に生産していましたが、耐久製の優れたステンレス製バルブの製造開発に着手しました。化学繊維、高圧ガス用に改良を進めました。 [Photo 1] [Photo 2] |
昭和39年 [1964] |
清水社長死去により専務取締役西田新一が代表取締役社長に就任しました。 |
昭和40年 [1965] |
鍛鋼製ねじ込み型玉形弁、フランジ型玉形弁を商品化。油圧弁の分野に進出しました。 ※同商品は平成19年に生産中止いたしました。 |
「独自技術の開発と新分野開拓」 | |
昭和41年 [1966] |
高速座ぐり専用機考案(昭和41年11月特許第485069号認可)により科学技術庁長官賞を授与されました。 [Photo] |
昭和43年 [1968] |
東京出張所の開設 |
昭和44年 [1969] |
米国石油協会よりAPT認定表示許可工場となりました。 |
昭和46年 [1971] |
強靭鋳鉄(FCD45)製 油圧用玉形弁の製造・販売を開始しました。 [Photo 1] [Photo 2] [Photo 3] ※同製品は平成19年に生産中止いたしました。 |
昭和46年 [1971] |
昭和41年に高圧ガス取締法(現;高圧ガス法)・同施行規則の大幅改正がありました。 当社は高圧ガス製造所として大阪府知事より許可されました。 |
昭和47年 [1972] |
昭和45年に通産省(現;経産省)公害保安局局長通達により、高圧ガス種別大臣認定の範囲が拡張されました。当社も同事業所の認可に向け準備を進め、1ヵ年の月日を要し高圧ガス設備試験製造認定事業所(19弁類)として通産大臣より認可されました。これにより主要産業ガスメーカーから照会もあり市場拡大に繋がりました。 |
昭和49年 [1974] |
Nロケット1号機打ち上げ準備に関連して、種子島宇宙センターに新設された大崎射場の液体燃料(液化酸素・液化窒素等)の地上配管設備用バルブを納入しました。宇宙開発関連産業への第一歩となりました。これに伴い、簡易クリーンブースの設置、低温試験装置の開発を行いました。 [Photo] |
「構造不況期における飛翔」 | |
昭和50年 [1975] |
宇宙開発事業団(現;宇宙航空研究開発機構)への納入により超低温バルブてせは主要メーカーと認められるようになりました。主要産業ガスメーカーの輸出プラントに当社のバルブが採用されたことにより、韓国や台湾からの問い合わせも増えインドには酸素プラント関係のバルブを納入いたしました。 [Photo] |
昭和51年 [1976] |
液化水素用真空ジャケット弁の開発・商品化しました。宇宙開発用としてH-I、H-IIと続くわが国のロケット用の液化水素設備に多数納品いたしました。 [Photo] |
昭和51年 [1976] |
高圧ガス取締法(現;高圧ガス法)が改正され、5000L 以上の液化酸素貯槽に緊急遮断弁を取り付けることが義務付けられました。当社も同バルブの開発及び商品化に成功しました。 [Photo] |
昭和52年 [1977] |
高圧ガス設備試験製造認定事業所として通産大臣より追加認可(圧力・口径・バルブの種類)されました。(16弁類)昭和55年にはストレーナ類の追加認可もされ、認定弁の営業範囲が拡大しました。 |
昭和53年 [1978] |
国産初の液化水素用タンクローリー車に当社のバルブが採用されたことにより、中国宇航学会参観団が当社を見学されました。日本の液体水素機器、設備関係の情況視察の一端として来訪されました。 [Photo] |
昭和55年 [1980] |
コールドエバポレーター(CE)用の加圧調整弁、降圧調整弁を開発しました。手動弁に加え圧力調整弁も商品化したことで拡販に大きく寄与しました。また減圧弁の商品化にも成功し、コールドエバポレーターから工場配管用のバルブまでを総合的に供給できる体制が整えられました。 [Photo 1] [Photo 2] |
昭和56年 [1981] |
高圧ガス設備試験製造認定事業所として通産大臣より追加認可されました。(16弁類、17ストレーナ) 圧力認定範囲のレベルアップをし、高圧バルブの営業範囲の拡大をしました。H-IIロケットの各種試験設備、酸素・窒素・水素ガスの高圧容器充填ラインの自動化、半導体用の高圧・高純度ガス用のラインなども認定弁で対応できるようになりました。 |
昭和57年 [1982] |
神戸国際展示場で開催された低温関連機器総合展示会に出展し好評を博しました。 [Photo] |
昭和57年 [1982] |
液化水素用真空ジャケット形バタフライ弁の開発に成功しました。過酷な耐久試験を繰り返し、実温使用時の「リークゼロ」を実現しました。H-IIロケット開発の各種設備用バルブとして使用されることになりました。 [Photo 1] [Photo 2] |
昭和58年 [1983] |
西田社長は取締役会長に就任し、副社長の濱口禮雄が代表取締役社長に就任しました。 |
昭和59年 [1984] |
貝塚市、貝塚商工会議所より優良事業所として表彰を受けました。 |
「21世紀に向けての体制づくり」 | |
昭和60年 [1985] |
工場を増改築しました。設備・生産ラインを倍増強化しました。クリーンルーム(クラス100)の拡張新設、組立工場には自動天井走行クレーンを設置し大型弁製作の対応が可能となりました。 |
昭和61年 [1986] |
超・極LSI向けの高純度ガス供給設備用超精密研磨弁を商品化しました。 超精密研磨弁は、弁の内表面祖度Rmax0.7μで半導体産業への進出の基礎となりました。 [Photo] |
昭和63年 [1988] |
高圧ガス設備試験製造認定事業所として通産大臣より追加認可されました。(N弁類 Oストレーナ) |
平成元年 [1989] |
大阪ガス株式会社彦根支社のLNGサテライト基地用のバルブを納入しました。 これによりLNG市場に本格的に進出いたしました。 [Photo 1] [Photo 2] |
平成元年 [1989] |
数値制御盤導入(第3次)により生産の増強・合理化を計りました。 |
平成2年 [1990] |
大阪府高圧ガス安全協会より災害防止に努め優秀な保安成績により表彰を受けました。 |
平成3年 [1991] |
岸和田税務署より優良申告法人として表敬を受けました。 |
平成4年 [1992] |
創立50周年を記念し「創立50周年記念誌」の発刊と記念事業として社員ハワイ旅行を実施しました。 [Photo] |
平成4年 [1992] |
宇宙開発事業団(現;宇宙航空研究開発機構)よりH-1ロケットの開発および打ち上げに際し、多大なる貢献をした事により表彰を受けました。 [Photo] |
平成5年 [1993] |
数値制御盤導入(第4次)大型中ぐり盤・弁棒自動加工機・NC旋盤の増設により生産の増強・大型弁の製作を図りました。 |
平成5年 [1993] |
技術部に設計用CADを導入しました。図面管理、新規設計業務のツールとして合理化を図りました。 |
平成6年 [1994] |
メンテナンス部門を独立、株式会社キョウエイエンジニアリングサービス(KES)を設立しました。 [詳細] |
「新世紀・新たなる躍進」 | |
平成7年 [1995] |
第8回増資により資本金6000万円となりました。 |
平成9年 [1997] |
低温用長軸ボール弁の開発と商品化を行いました。玉形弁に比べ流体抵抗の少ないボール弁を低温用に開発したバルブで手動弁から緊急遮断用とシリーズ化されました。 |
平成10年 [1998] |
ISO9001-1994/JIS Z 9001-1994の認証を取得しました。 (製品/サービスの範囲; 高圧ガス設備用バルブ、一般工業用バルブ及びストレーナ類とその関連部品の設計及び製造) |
平成12年 [2000] |
中国における第1号のLNGサテライト基地である山東省ツウポウ市基地用のバルブを納入しました。以後中国各地に建設されるLNG基地に当社バルブが採用されました。 [Photo] |
平成13年 [2001] |
数値制御盤導入(第5次)NC旋盤の増設、工場内の整備をおこない、生産の増強と合理化を計りました。 |
平成13年 [2001] |
中国・北京で開催された「2001年中国国際気体技術、設備応用展覧会」に出展し、中国における「低温弁の共栄」をさらに高めました。 [Photo 1] [Photo 2] |
平成15年 [2003] |
ISO9001-2000/JIS Z 9001-2000の認証に移行しました。 (製品/サービスの範囲; 高圧ガス設備用バルブ、一般工業用バルブ及びストレーナ類とその関連部品の設計及び製造) |
平成16年 [2004] |
濱口社長は代表取締役会長に就任し、副社長の樋口征吾が代表取締役社長に就任しました。 |
「オンリーワンへの道」 | |
平成17年 [2005] |
本社工場の外壁改修工事を行いました。外壁に「CRYOGENIC VALVES」と表しました。 |
平成20年 [2008] |
創立65周年記念事業として、本社新社屋を建設しました。資材倉庫の整備と事務系部門を移動し、工場組立施設の拡張を行いました。また大阪営業所を本社営業部に統合しました。 [Photo] |
平成20年 [2008] |
高圧ガス保安原子力安全・保安院長より優良製造事業所として表彰を受けました。 [Photo] |
平成21年 [2009] |
ISO9001-2008/JIS Z 9001-2008の認証に移行しました。 (製品/サービスの範囲; 高圧ガス設備用バルブ、一般工業用バルブ及びストレーナ類とその関連部品の設計及び製造) |
平成22年 [2010] |
販売及び生産システムのコンピュータ化を全社的に導入しました。販売管理の強化と生産管理の合理化を図りました。 |
平成23年 [2011] |
本社工場内の改修工事を行いました。耐震補強に加え木型倉庫の整備を行いました。 |
平成24年 [2012] |
中国・北京に専属営業部員を配置しました。中国市場の更なる拡販と中国ユーザーの窓口として活躍しています。また、中国市場の拡販に向けて中国特殊設備型式認証(CSEI)を得しました。 |
平成25年 [2013] |
高圧ガスの製造工場として永年の災害防止に対して経済産業大臣より表彰をうけました。生産活動において日々高圧ガスを取り扱う企業として最高の名誉であります。 |
平成25年 [2013] |
創立70周年を迎えました。記念事業として台湾・台北への社員旅行を実施しました。 |
平成26年 [2014] |
日本海事協会 (ClassNK) の認証(低温弁)を取得しました。 |
「次世代に向けて…」 | |
平成27年 [2015] |
新規設計・開発業務に際して形状確認や製法検討時に使用するため、技術部に高性能3Dプリンタを導入しました。また最新式の流体解析ソフトを採用、より高性能な製品開発に役立てています。 |
平成27年 [2015] |
樋口社長は代表取締役会長に就任し、代表取締役社長に濱口雅博、代表取締役副社長に清水明が就任しました。 |
平成28年 [2016] |
JAXA種子島宇宙センター殿エンジン燃焼試験設備にステンレス鋳鋼製エアシリンダー式長軸バタフライ弁10Bを納入しました。 |
平成29年 [2017] |
大阪府泉佐野市に新たな製作拠点として新工場を建設しました。次世代型低温弁製作に向けてマシニングセンター、立型NC旋盤、ワイヤーカット他の加工機を設置しました。また、大型弁の組立・検査対応の施設を確保しました。 |
平成29年 [2017] |
2020年打ち上げを目標に計画された新型基幹ロケット「H3ロケット」の種子島宇宙センター射点設備用バルブとして総数242台を製作納入しました。 |
平成30年 [2018] |
神戸液化水素基地向け用弁として、真空ジャケット型ベローシール式手動玉形弁・シリンダー弁・コントロール弁他を納入しました。 |
令和元年 [2019] |
水素運搬船「すいそふろんてぃあ号」向け真空ジャケット型ベローシール式長軸玉形弁を納入しました。 |
令和4年 [2022] |
仕上組立工場(2棟)を増設。標準弁製作の効率化と大型弁の組立対応が可能になりました。本社工場では検査場を拡張、増産体制を整えました。 |